詐欺容疑で逮捕された21歳〝頂き女子〟 涙の最終陳述で見えた彼女の〝気づき〟【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第30回
【彷徨い、不安定だった私が正気を失わずにいられたのは】
20代前半の多感な時期に、私は同年代の大多数の人間とは違う環境に身を置いていた。そこは世間一般と比べて、様々な物差しが異なっている場所であった。普通は人に見せるべきものではないセックスを全世界に公開することを生業とし、皆が一か月のバイトで稼ぐ額以上を一日で稼いでしまう。日々現場スタッフやファンからちやほやされる一方で、赤の他人からこれでもかというぐらい陰湿にこき下ろされ、にこにこと微笑んで寄ってくるのはセックスがしたいだけの馬鹿かちょうどよく利用したい大人たちが大半だった。
これまで教えられてきた道徳が役に立たないことはすぐに理解したし、本来私を支えるはずの自己肯定感みたいなものは積み上げては崩されての繰り返しだった。本名と芸名を行ったり来たりする中で、私の価値観はどこにだって、それは良い方向悪い方向、どちらにも滑り落ちていけるほどに不安定な状態であたりを彷徨っていた。
そんな状況で、ある意味正気を失わずにいれたのは、私のことを「渡辺まお」とは認識していない友人たちのおかげだった。当たり前のことだが、私が「渡辺まお」だということは皆が知っていた。しかしながら、彼らはどんなときでもたった一人の、私個人として扱ってくれており、私がそうして欲しいと頼んだわけでもないのに、いつだって無断で私のテリトリーに土足で踏み込んでこようとはしなかった。仕事の話を根掘り葉掘り聞かれることもなかったので、その時間だけは普通の大学生でいることができたし、加えて後から聞いた話だが、外部からの面倒な誘い―「あの子と友達なら飲み会呼んでよ~」みたいなものは私の耳に入る前に全て断ってくれていたらしい。余計な神経を使わずに日々を平和に過ごせたのは間違いなく彼らのおかげだ。
彼らがそのように振る舞うのはもちろんデビュー後だけの話ではない。私が男にそれなりの金額を貢いで空虚な恋愛ごっこにかまけていたときや、突然AV女優としてデビューすると宣言したときも同じであった。個人的な善悪の判断をつけることなく、ただ静かに、「無茶だけはしないでね」と声をかけてくれたのを覚えている。
もしかしたら「大事な友人ならそういったことをやる前に止めるべきなのでは」なんて思うかもしれないが、当時の私にとっても、今振り返ってみても、それは必要なかったと断言できる。誰かの言動や行動を理由に何かを断ち切るのはとても便利で簡単ではあるものの、そこにきちんとした己の意志がなければ、表面的には異なるとも、本質的に似たようなことを繰り返し、何も変化しないままになってしまうからだ。その点、彼らは私が自分で判断をつけるまで何も言わないものの、「何かあったら言うんだよ、いつでも話聞くから」とどっしりと構え、私を孤独にはさせなかった。そうした絶対の安心感があったからこそ、激動の日々の中でも正気を保てたし、〈わたし〉という輪郭を維持できたのだと思う。
たまに、想像してしまうときがある。これまであったあらゆる分岐点を全て悪い方向に、「私なんて孤独だ」と勘違いしたまま突き進んでいたらどうなっていただろうかと。きっとただただ恐ろしい怪物になり果てていただろうなと想像し、少し怖いけれどそんな自分にも出会ってみたかったと思ってしまう。